弘法大師御歳三十二歳
弘法大師の筆は平安時代に
三筆(空海・橘逸勢・嵯峨天皇)と云われ
大変、筆による文字の上手い人と伝わっております。
又 古今著聞集の中に
『弘法大師は筆を口にくわえ、左右の手に一本づつ持ち、
左右の足にも一本づつはさんで五本の筆で
それぞれ自在に字をお書きになられたので
《五筆和尚》と云われる。』とあります。
空海が唐の皇帝より宮中の中にある大きな壁に
書かれていた、王儀之の筆跡が時が経ち朽ちてきたので
大変文字の上手な日本の和尚に書きしめたまうべし勅ありき。
大師左右の手足に筆を執り
お口に筆を含みて五行を同時に書き給う
皇帝はそれを観て五筆和尚の號を給う
唐帝は来縁の契に菩提樹の念珠を給うこの念珠は今、東寺にあり。
弘法大師は入唐の前より中国の大書家
王儀之(おうぎし)や顔真卿(がんしんけい)の書をこよなく愛し
又勉強し筆で書く二人の字体を広く研究されました。
楷書(かいしょ)・行書(ぎょうしょ)・草書(そうしょ)・篆書(てんしょ)
隷書(れいしょ)・飛白書(ひはくしょ)・雑体書(ざったいしょ)凡書(ぼんしょ)
を勉強して書域の広さ書論に裏付けられた奥の深さがあります。
中国では五種類の書体を自由に書くことができると言う意味から
《五筆和尚》の名を皇帝に称され能書家として称賛されました。
歳弘法堂では、(口・右手・左手・右足・左足)に五本の筆を持たれ、
自在に文字を書かれる空海上人の尊像を祭祀致しております。
この記事へのコメントはありません。